【囲碁】小岸壮二(こぎしそうじ)のこと

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    小岸壮二(こぎし そうじ)という囲碁棋士をご存じだろうか?明治・大正の囲碁史に興味のある方は、この棋士の名前を知っているかもしれない。

    本因坊秀哉(ほんいんぼうしゅうさい)の愛弟子で、彼の弟子の中では最強と伝えられ、小岸が若死に(1898年生まれの1924年死去なので26歳)しなければ、秀哉は小岸を本因坊にしただろうし、そうすれば今の本因坊もなかったか、或いは別の形のタイトル戦になっていたかもしれない。

    いわば、小岸の早すぎる死が日本の囲碁の歴史を変えてしまったともいえる。

    さて。彼の実績で最も有名なのは「時事新報勝ち抜き戦32連勝」である。これはとてつもない記録であるが、その「記録の価値」については、囲碁史研究家の林裕が面白いことを書いている。彼の著書「囲碁風雲録−昭和の大勝負」(林裕・著、人物往来社)の23ページに以下のようなことが書かれている。
    ・小岸は時間をかけて練り上げる棋風であった。
    ・当時は新聞対局の対局料金が非常に安かったので、(小岸のように)1局の碁に1週間も粘られてはたまらないと不平をいう人も多かった。
    ・だから小岸が時事新報で32連勝したときも、その相手になった人たちは、必ずしも恐れ入ったわけではなかった。
    ↑林裕は上のようなことを書いている。林ははっきりと書いてはいないが、要するに「小岸があんまり長々考えるので、対戦相手の一部は程よいところで早々と投了して小岸に勝ちを譲ったのではないか」ということなのだと思う。その当時の小岸が20歳前後の若手であったのに対し、対戦相手の中には中高年の棋士もいただろう。安い対局料のために1週間も頑張るよりは・・・と思う棋士がいたのかもしれない。

    もっとも上記の記述は著者の林の記述であり、実際にどうだったかはわからない。ただ、後世に残っている「小岸の32連勝」をそのまま賞賛する人もいれば、少し意地悪く(?)いろいろ詮索する人もいる、ということである。

    どちらにしろ、その当時の小岸が期待の若手棋士だったころに違いはない。残念なことに彼は、腸チフスと過労で若くして死んでしまった。



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